業務部の下村です。
桜の季節ですね、と言いたいところですが、新型コロナウイルスの影響で、桜の話題もどこにいったやらという今日この頃です。早く収束してもらいたいものです。
先日、お客様と一緒に京都でお食事をさせて頂きました。
お料理がとても美味しく、期待を超えて感動しました。
高くて美味しいのが分かっている食材で想像通りに美味しいのは当たり前です。それは高いお金さえ払えば想像通りに美味しいものが食べられます。美味しいけど感動はしません。そのお店もあまり印象に残りません。
期待を超える感動があって初めて印象に残りますし、お金を払っているのに「ありがとうございます」という気持ちになります。出会えて良かったなと思います。
味も、接客も、雰囲気も、そしてその人と信念も。
価値がある(値段ではありません)、期待していた以上に美味しいもの。を探すのが趣味な私ですが、感動する価値あるものと出逢えた時、感動を味わっている時間は、幸せで快い気持ちにしてくれます。
これは、私達がお客様に提供している仕事、サービスにも言えることだなと思います。
期待を超える感動。
それはおそらく人の何倍もの努力と強い信念、自ら強いプレッシャーをかけ、あきらめずに自分を信じて、覚悟を決め、全て自己責任で取り組むからこそ見えてくる、自分の限界を超えてこその素敵な風景。でもそれは通過点。また次の扉が見えてくる。
そして大切な視点。何を提供するかでなく、誰が利用するか。
感動するものに出逢うと、その生み出るまでの創作者の気持ちやプレッシャー、努力を想像します。
自分は何ができるか、何を創れるか。何に誰に貢献できるか。そして何を残せるか。
問い続けながらいつもの毎日を過ごしていきたいと思います。
また、こんなこともあります。
お店に続けて行っていると、期待していた味から変わったり、味が慣れてきたり、味が落ちてきたりしたら、足が次第に遠のきます。1回、あれっ?って味になって、もう一度食べると、戻っている場合もありますが、戻らない場合やごく普通の味になって(感じて)しまうこともままあります。
これも私達の仕事にも言えるのではないかと。
提供するサービスやお客様への対応。忙しさを理由に質が下がったり、ありきたりになったり、期待を下回ったりしてくると、少しの「?」が溜まってお客様は離れていきます。
お客様の期待は、初めの新鮮さを上回って深くて高くなるもの。
離れられた方は急で驚きますが、きっと相手は長く思ってのこと。
関係が良好であった相手が自分に対する態度をかえる。
それはおそらく自分が気づかないうちに相手を傷つけていたり、落胆させていることも。
私達の仕事の中心にはいつも人がいて、人の気持ちがある。
私達の仕事は人を想うことから始まる。
その人のために働く。
何を提供するかでなく、その人が何を利用して、何を思い、何を期待しているのか。
少しでもその期待を超えられているか。自分がいつも相手に新鮮な気持ちでいれているのか。喜んでもらいたいという気持ちでいられているのか。相手の立場になって気持ちに寄り添えられているのか。
ただそそれが(押しつけのように)自己満足になっていないか。
シンプルなことですが、難しい。
これからも省みたいと思います。