業務部の下村です。
ある管理職の方が「部下とずっと一緒にいる訳でもないし、自分の仕事や外出もあり、ずっと部下を見ていることはできないが、それで人事評価をできるのか?」という質問がありました。
当然、部下をずっと見ていることはできません。
部下も「私のことをずっと見ていないのに、なぜこんな評価をつけるのか。好き嫌い、感覚で評価しているのか。」と感じることもあります。
こうすべきという正論はあるでしょうが、実際現場で多忙な管理職の方にすれば、正論は実態に合わないと思います。
私は、“ひとの本質って、ふとした時にわかる。”と思っています。
その一瞬、目にしたことが、相手にとって悪い時、良い時、普通の時、色々だと思いますが、それは全て正解で、事実で、全てその人なのだと思います。
もちろん、余程のことでない限り、その一瞬でその人の評価が決まるわけではありません。
一瞬目にした姿に、今まで色々な姿を目にしてきたことを、足し算引き算したり、掛け算割り算したり、そのギャップや人間臭さ、理想等もわかりそれらを加味して総合的に決めていると思います。
相手からすると、「色んな自分があって、たまたまその時は良くなかっただけ」でしょうが、案外他者から見ると「いやいつものあなただよ。」となるものです。
自分が否定しても、評価は人がそう思ったらそれが評価であり、案外間違っていなかったりするもの。評価は感じる人それぞれにあって当然です。
客観的に周りの評価を捉えて、受入れ、昇華できる能力、気持ちは大切です。それは決して独りよがりにならず、お互いが気持ちいい関係で、かつ自分が成長できるためでもあります。
今の評価も、また変わっていくものです。それは自分や相手、周りや置かれた環境、今いるステージにもよってきます。
以前私の知り合いが「子供の時は親が仕事で殆ど家におらず鍵っ子だったが、親は私のことをよく分かってくれていた」と言っていました。
常に部下を見ていることはできないけれど、関心をもっておくことで、自然に、無意識に部下を感じ・考えていると思いますし、その中で一瞬・一瞬に映った部下の姿は、案外間違っていないものだと私は思います。