業務部の三浦です。

昔から「極論」を言うのも「極論」を聞くのも好きではありません。

本来、社会で生ずる数学的ではないあらゆる事象において極論が真となることなどほとんど無いはずです。

「0」か「100」か「白」か「黒」かで事象を語る時点で、思考停止である(聞く耳がない)か、安全地帯を構築して悦に浸っているに過ぎないと私は思うのです。

せっかく良質な議論を重ねていても相手が極論に走りだした時点で、スーッと冷めていく自分に気づきます。

一方で、「極論を言えば・・・」と別の目的をもって補助的に極論を利用される方もいらっしゃって、この場合は説得力が伴う事が多いように思います。

極論を嫌悪されている前提で語られていることがきちんとこちらに伝わるからです。

上手に使える極論は有用、そうでない極論は無用。

私はそう思います。