業務部の下村です。

まだまだ寒さが続きますが、最近は日も長くなり、綺麗な梅の花も咲き、

少しずつ春の訪れが感じられます。皆様いかがお過ごしでしょうか。

先日あるネットニュースで俳優の有村架純さんが、自身が演じた役柄について下記のようなコメントをされていました。

・「みんなで食べるご飯もおいしいけど、1人で食べてもおいしいものはおいしい」というセリフがとても印象に残っている。

・「1人は寂しいというネガティブな印象がありますが、全然そんなことなくて、孤独を愛する人は世の中にたくさんいるし、1人でいるほうが楽だと思うなら、それはその人の幸せな道だし、そういう1人でいることへの許容を一つのセリフですごく感じました」

・「自分が大事にしたいものを自分の中で秘密にして楽しんだり、孤独に生きることも幸せなことだし、人間が100%分かり合えることは絶対ないと思っていて、友達や家族でも知らないことはいっぱいある。だから、その距離感が楽しかったり、何を考えているのだろうと想像したり、人と人が向き合うことでいろんなことを学習していき、その根本にあるのは孤独なのかなと思います」

・「何かと戦うときは自分1人。仕事を成し遂げるのも1人だし、孤独との戦いはどの職業にもあって、トップにいればいる人ほどその重荷は大きくなってくる。でもトップにいるからこそ見える景色もあるし、孤独だからこそわかることもあるので、孤独=寂しいということでは全くないと思います」

ここで、「孤独」というテーマについて考えさせられました。

孤独というと、寂しいというイメージになりますが、依存や甘えというのも、しんどいし、気を使うものです。

そして孤独というのは、一人でいるという意味では決してなく、周りに仲間がいたり、会社で同僚に恵まれていても、懸案を相談できずに一人で抱えているという孤独もあります。

私が仕事をしていると、そのような孤独を抱えている方に多く出会います。

部下に問題社員がいて、その問題を自分で解決しなくてはならない管理職、厳しい労使交渉に悩まされている人事担当者、経営状況が厳しく昇給や賞与の支払いが難しくリストラも決断しなくてはならない経営者・・・・。

私はその方々の孤独にちゃんと向き合い、相談に乗れているのだろうか。

孤独は本来強くて一人の人間として自立し、自分らしい人生を過ごしていることを言うのではないか、その上で人とも気持ちのよい距離感でつきあえている状態であることではないかと最近思えてきました。

そういう自分だからこそ、相手の悩みに共感し理解することができる。

そういう自分だからこそ、寄り添い、必要とされれば力になることもできる。

決して、なれ合いや甘え、依存ではない。互いに対等で尊重し合える関係。

私は自分自身が強く自立できているのであろうか。相手の孤独に向き合い、寄り添う資格があるのだろうか。適切に対応できているのであろうか。

孤独に向き合い、自分を成すことに取り組み、相手の心の状態の変化に気づき、自然に傍に寄り添い、必要とされたら力になれる。

そして、自身もどうしても必要な時には助けを求めることができる素直さと勇気を持てるようになりたいと思いました。