外勤業務部の三浦です。

私はラグビー経験者ですが、ラグビーという競技はそもそもボールがどこに転がるか分からない、どこに弾むか分からない、という理不尽を前提としています。

技術を磨けばある程度コントロールできますが、オールブラックスの選手でも完全にコントロール仕切ることは出来ません。

そもそもコントロール出来ないものを前提にすると、仮にコントロール出来たとしてもそれは幾らか偶然によるものであり、逆にコントロール仕切れなくてもある程度は仕方ないという諦めのコンセンサスが、自分の中でも、集団の中でも確立されます。

何を申したいかといいますと、理不尽を前提とした方が、良い意味でちょっと楽に生きられるのではないかという事です。

但し、それを「良い意味」にするためには、理不尽を前提とした上で、それでもなんとか諦めずに理不尽をコントロールしてやろうという努力と研鑽、集団意識が必要なのでしょう。

毎日のようにメンタル疾患が絡んだご相談を頂きつつ、そんなことをボンヤリと考えます。